JUNな気もち。

JICA海外協力隊@カンボジア2021-7

史上初!?の「withコロナJICA海外協力隊員」になって

 

2020年の3月。私の元に一本の電話がかかってきた。相手はJICA関西相談役の前原さんだった。

「コロナでJICAの派遣がどうなるか、まだ分かりません。現職参加の方は、思い切って1年先延ばしにするという方法もありますよ。その場合は今すぐ管理職に伝えた方がいいですよ。」とのこと。

一瞬頭が真っ白になった。「えー。合格通知からここまで待ったのに…もう1年!?」昨日職員室で「この4月からの訓練後、アフリカのモザンビークに行ってきます~!」と声高らかに発表したばかりなのに…。しかし、派遣中の先輩隊員も全員帰ってきているこの状況下で、すぐに予定通り訓練、派遣となるのだろうか…?(この時はまだ訓練が少し遅れてでもできるかもしれない、派遣も調整中という状態。)わずかな希望を抱いて予定通り休暇を取って待機していても、もし状況が悪化し派遣が先延ばしになれば、任国での活動期間はどんどん短くなってしまう―――。

「一年延期します。」

家族とも相談し、出した答えはこれだった。その日の夜に管理職に電話した。有難いことに校長先生と、教育委員会の方の迅速な対応のお陰で、私はまた4月から担任として復帰できることになった。前原さんの電話が少しでも遅ければ、4月復帰は間に合わなかったかもしれない…と思うと感謝しかない。職員の先生方からも「おかえり。」と温かく迎え入れてくれた。これもまた感謝。

「この1年は、何をするにもモチベーションが下がったのでは?」とよく周りに聞かれたが、そうでもない。むしろ、「1年も準備期間ができた!さあ、何をしようかな~!」と割と早くに切り替えることができた。その準備として取り組んだことは大きく二つ。一つ目に英語のオンラインスクールに入った。(国や言語は変更する場合があると聞いていたので、とりあえず英語習得にシフト)3分ほどの英語のスピーチを丸暗記し、動画で発表。話せなくても伝えようとする度胸が身に付いたと思う。

二つ目に、開発途上国の記事を取り扱うNPO団体「ganas」の「グローバルライター講座」を受けた。2か月の間に開発途上国関連の記事を8本書く。これで書く力が随分鍛えられたと思う。

また、仕事に対するモチベーションを高く持ち続けられたのも、あることに気づいたからである。それは「日本でも途上国でもすることは同じ」ということである。延期の1年間、私は3年間していた特別支援学級の担任を引き続き任された。特別支援学級では、まず子供達一人一人の能力を正確にアセスメントし、苦手な活動に対して「なぜそうなるのか」の原因を探り、「どう支援すればできるようになるか」を考え、支援していく。その過程で大切なのは「スモールステップ」と「良い所を見つけてほめること」である。これは協力隊で任地に行った時の、そこでの人々との関わり方そのものではないか。もちろん、言語や環境や、習慣等の大きな違いがあるかもしれないが、根本は変わらない。「ここでできなければ、任地に行ってもできるはずがない」と思い、最後までやり遂げることができた。特に最後の半年は「自分がいなくなってもうまく進むようなシステムを作る」ことを意識した。例えば今まで紙ベースだったものをデータで残していく・同じ子の支援を自分ばかりがやるのではく、周りの先生にゆだねるなど。学習の仕方もこちらが課題を与えるばかりではなく、子供達自身が自ら考えてできるような課題を取り入れ、私がいなくなっても、誰とでもできるようにしていった。これらは実際派遣され活動の任期が終わる数か月前に、どの隊員も意識する事ではないだろうか。

JICAから2021年1次隊になったと連絡が来たのは、その年の12月29日。私の誕生日。11月に意向調査(何次隊で行きたいか)があり、「小学校の現職参加のため、なるべく早い1次隊を希望」と書き、4月から一次隊として訓練に入れることに。しかし派遣国が決まらず…。カンボジアに決まったのは、年明け2021年1月。そこから初めてカンボジアのクメール語を勉強し始めた。初めは暗号にしか見えないクメール語に面食らったが、幸いカンボジア派遣のOV隊員が二人もいたので、すぐに連絡し、おすすめの参考書を数冊購入。仕事の行き帰りや仕事終わりに単語帳を作って読んだり、CDを聞いたりと隙間時間に勉強した。

2021年4月から無事に自己啓発休暇に入り、13日から2週間、東京のホテルでの隔離生活。毎朝・夕は体温チェック&メール、不要不急の外出はしない・他の候補生と廊下でのおしゃべりは極力しない・他の部屋にも行かない・三度の食事は全てお弁当で、時間になったら所定の場所に取りに行く等々…。誰とも話さないで一日部屋に閉じこもって語学勉強をする日々。3日目に人生初のホームシックを経験した。特に自由に外出ができないこと、他の候補生達と話ができないことは私にとって大きなストレスだった。そんな折にFacebookで2021年1次隊のグループが立ち上がり、その中でZoomの交流会や自主講座が開かれ始めた。これは私にとって大きな励みになった。同期との「初めまして」は画面越しだったが、隔離生活での不安や思いなどを語ったり、オンライン飲み会で趣味や好きな物について話したり。これがなければ乗り越えられなかったと思う。立ち上げてくれた同期に感謝している。

そして隔離終わりにPCR検査を受け、58人の訓練生達と二本松訓練所にバスで移動。休憩所のパーキングで、初めて他の候補生達とリアルで話すことができた。会えた瞬間、妙な感動があった。これは芸能人と会った時の感覚に似ているなと思った。画面上でしか知らない人と実際に会うと、ちょっとテンションが上がる感じ。この瞬間「たとえオンラインでも同じ時間を過ごせば、すぐに仲良くなれるんだ」と学んだ。任国に行って、たとえオンラインの交流だけだったとしても、その価値はありそうだなと感じられた出来事だった。

JICA初、withコロナでの訓練所生活。食堂では透明のパーテーションがあり、黙食。お風呂は大浴場に5人までで黙浴・体育館でのスポーツも4人まで・外へ飲みに行くのは一人で・恒例だった国を超えての班組も国ごとのグループで・基本オンラインでのJICAの講義…。何より言語の教室にもパーテーションがあり、聞こえにくく、見にくい上に、先生もマスクをしているので、発音は耳だけを頼りに真似していくのが辛い。言語を習得するのに、口元が見えないことはこんなにハンデになるのか。時には分からないことが多すぎて、涙目になることもあった。(いや2回くらい泣いた)分からないまま授業が進むってこんなに辛いことなんだ…。

それでも何とか語学試験には合格し、無事「隊員」となって退所の日を迎えた。退所式の答辞で、同期隊員が「私には夢があります」と涙ながらに語った。「それは、いつかみんなでお酒を酌み交わしながら、思い出を語り合うことです。」と。私も気づいたら泣いていた。たった2週間と45日間だったが、仲間と寝食を共にしながら、励まし合って訓練言語を学び、時には泣いたり笑ったりした時間は、まさに「青春」だった。また、一人も感染者を出すこと無く、全員が「隊員」となって訓練を終えられたという安堵感や達成感と同時に、どの隊次にも負けない「絆」も生まれた。自分も含めて、全ての人に感謝したい。また、次に控える後輩隊員にバトンを繋げられたことも本当に良かった。

しかし、全員無事に派遣されるかどうか、まだ分からない。(アフリカは訓練中に派遣が8月から9月以降に変更になった)。先の見えない中だが、訓練前と違うことは、同じ志を持つ仲間達と繋がっていることだ。勇気と希望を胸に抱きながら、私は今、その時を待っている。

2021年 7月 

2021-1 カンボジア派遣予定 橋本 純