JUNな気もち。

JICA海外協力隊@カンボジア2021-7

史上初!?の「withコロナJICA海外協力隊員」になって

 

2020年の3月。私の元に一本の電話がかかってきた。相手はJICA関西相談役の前原さんだった。

「コロナでJICAの派遣がどうなるか、まだ分かりません。現職参加の方は、思い切って1年先延ばしにするという方法もありますよ。その場合は今すぐ管理職に伝えた方がいいですよ。」とのこと。

一瞬頭が真っ白になった。「えー。合格通知からここまで待ったのに…もう1年!?」昨日職員室で「この4月からの訓練後、アフリカのモザンビークに行ってきます~!」と声高らかに発表したばかりなのに…。しかし、派遣中の先輩隊員も全員帰ってきているこの状況下で、すぐに予定通り訓練、派遣となるのだろうか…?(この時はまだ訓練が少し遅れてでもできるかもしれない、派遣も調整中という状態。)わずかな希望を抱いて予定通り休暇を取って待機していても、もし状況が悪化し派遣が先延ばしになれば、任国での活動期間はどんどん短くなってしまう―――。

「一年延期します。」

家族とも相談し、出した答えはこれだった。その日の夜に管理職に電話した。有難いことに校長先生と、教育委員会の方の迅速な対応のお陰で、私はまた4月から担任として復帰できることになった。前原さんの電話が少しでも遅ければ、4月復帰は間に合わなかったかもしれない…と思うと感謝しかない。職員の先生方からも「おかえり。」と温かく迎え入れてくれた。これもまた感謝。

「この1年は、何をするにもモチベーションが下がったのでは?」とよく周りに聞かれたが、そうでもない。むしろ、「1年も準備期間ができた!さあ、何をしようかな~!」と割と早くに切り替えることができた。その準備として取り組んだことは大きく二つ。一つ目に英語のオンラインスクールに入った。(国や言語は変更する場合があると聞いていたので、とりあえず英語習得にシフト)3分ほどの英語のスピーチを丸暗記し、動画で発表。話せなくても伝えようとする度胸が身に付いたと思う。

二つ目に、開発途上国の記事を取り扱うNPO団体「ganas」の「グローバルライター講座」を受けた。2か月の間に開発途上国関連の記事を8本書く。これで書く力が随分鍛えられたと思う。

また、仕事に対するモチベーションを高く持ち続けられたのも、あることに気づいたからである。それは「日本でも途上国でもすることは同じ」ということである。延期の1年間、私は3年間していた特別支援学級の担任を引き続き任された。特別支援学級では、まず子供達一人一人の能力を正確にアセスメントし、苦手な活動に対して「なぜそうなるのか」の原因を探り、「どう支援すればできるようになるか」を考え、支援していく。その過程で大切なのは「スモールステップ」と「良い所を見つけてほめること」である。これは協力隊で任地に行った時の、そこでの人々との関わり方そのものではないか。もちろん、言語や環境や、習慣等の大きな違いがあるかもしれないが、根本は変わらない。「ここでできなければ、任地に行ってもできるはずがない」と思い、最後までやり遂げることができた。特に最後の半年は「自分がいなくなってもうまく進むようなシステムを作る」ことを意識した。例えば今まで紙ベースだったものをデータで残していく・同じ子の支援を自分ばかりがやるのではく、周りの先生にゆだねるなど。学習の仕方もこちらが課題を与えるばかりではなく、子供達自身が自ら考えてできるような課題を取り入れ、私がいなくなっても、誰とでもできるようにしていった。これらは実際派遣され活動の任期が終わる数か月前に、どの隊員も意識する事ではないだろうか。

JICAから2021年1次隊になったと連絡が来たのは、その年の12月29日。私の誕生日。11月に意向調査(何次隊で行きたいか)があり、「小学校の現職参加のため、なるべく早い1次隊を希望」と書き、4月から一次隊として訓練に入れることに。しかし派遣国が決まらず…。カンボジアに決まったのは、年明け2021年1月。そこから初めてカンボジアのクメール語を勉強し始めた。初めは暗号にしか見えないクメール語に面食らったが、幸いカンボジア派遣のOV隊員が二人もいたので、すぐに連絡し、おすすめの参考書を数冊購入。仕事の行き帰りや仕事終わりに単語帳を作って読んだり、CDを聞いたりと隙間時間に勉強した。

2021年4月から無事に自己啓発休暇に入り、13日から2週間、東京のホテルでの隔離生活。毎朝・夕は体温チェック&メール、不要不急の外出はしない・他の候補生と廊下でのおしゃべりは極力しない・他の部屋にも行かない・三度の食事は全てお弁当で、時間になったら所定の場所に取りに行く等々…。誰とも話さないで一日部屋に閉じこもって語学勉強をする日々。3日目に人生初のホームシックを経験した。特に自由に外出ができないこと、他の候補生達と話ができないことは私にとって大きなストレスだった。そんな折にFacebookで2021年1次隊のグループが立ち上がり、その中でZoomの交流会や自主講座が開かれ始めた。これは私にとって大きな励みになった。同期との「初めまして」は画面越しだったが、隔離生活での不安や思いなどを語ったり、オンライン飲み会で趣味や好きな物について話したり。これがなければ乗り越えられなかったと思う。立ち上げてくれた同期に感謝している。

そして隔離終わりにPCR検査を受け、58人の訓練生達と二本松訓練所にバスで移動。休憩所のパーキングで、初めて他の候補生達とリアルで話すことができた。会えた瞬間、妙な感動があった。これは芸能人と会った時の感覚に似ているなと思った。画面上でしか知らない人と実際に会うと、ちょっとテンションが上がる感じ。この瞬間「たとえオンラインでも同じ時間を過ごせば、すぐに仲良くなれるんだ」と学んだ。任国に行って、たとえオンラインの交流だけだったとしても、その価値はありそうだなと感じられた出来事だった。

JICA初、withコロナでの訓練所生活。食堂では透明のパーテーションがあり、黙食。お風呂は大浴場に5人までで黙浴・体育館でのスポーツも4人まで・外へ飲みに行くのは一人で・恒例だった国を超えての班組も国ごとのグループで・基本オンラインでのJICAの講義…。何より言語の教室にもパーテーションがあり、聞こえにくく、見にくい上に、先生もマスクをしているので、発音は耳だけを頼りに真似していくのが辛い。言語を習得するのに、口元が見えないことはこんなにハンデになるのか。時には分からないことが多すぎて、涙目になることもあった。(いや2回くらい泣いた)分からないまま授業が進むってこんなに辛いことなんだ…。

それでも何とか語学試験には合格し、無事「隊員」となって退所の日を迎えた。退所式の答辞で、同期隊員が「私には夢があります」と涙ながらに語った。「それは、いつかみんなでお酒を酌み交わしながら、思い出を語り合うことです。」と。私も気づいたら泣いていた。たった2週間と45日間だったが、仲間と寝食を共にしながら、励まし合って訓練言語を学び、時には泣いたり笑ったりした時間は、まさに「青春」だった。また、一人も感染者を出すこと無く、全員が「隊員」となって訓練を終えられたという安堵感や達成感と同時に、どの隊次にも負けない「絆」も生まれた。自分も含めて、全ての人に感謝したい。また、次に控える後輩隊員にバトンを繋げられたことも本当に良かった。

しかし、全員無事に派遣されるかどうか、まだ分からない。(アフリカは訓練中に派遣が8月から9月以降に変更になった)。先の見えない中だが、訓練前と違うことは、同じ志を持つ仲間達と繋がっていることだ。勇気と希望を胸に抱きながら、私は今、その時を待っている。

2021年 7月 

2021-1 カンボジア派遣予定 橋本 純

うんうん、ふーん、へえー。

日本で人と話す時、私はいつも、題名のような相槌を打っていました。

友達、先生、保護者、子供など、割と誰に対しても。

 

しかし、カンボジアの小学校で、同僚の先生方と話しながら、同じように相槌をしていると、カウンターパート(一番私の世話をしてくれる同僚)に

「じゅん、それは、オッ(無い)クーオソーム(丁寧)だよ」だと言われました。

つまり、「丁寧じゃない」。

 

「ウンウン、フーン、へー」などという音は、

友達など、近しい相手にしか使わないので、目上の人や、職場の人に対して使うと、とても失礼にあたるとのこと。

 

カンボジアは仏教の国なので、目上の人に対して尊敬をする文化があります。そのため言葉遣いも丁寧にする必要があります。

日本でも、職場など、オフィシャルな場では基本的には敬語を使いますね。

 

しかし私は、日本にいる時から、フランクな雰囲気の年上の方と話す時には、割とフランクに話してしまうクセ?があり。

慣れてくると、年上の方にも「うん~」などの相槌を言ってしまうことがありました。(もちろん、初めて会った時には誰でも敬語で話しますが!)

 

私なりの尊敬の気持ちも、持っているつもりでしたが、、、。

結局、ふるまい(行動・言葉)が伴わないと、それは伝わらない。

特にカンボジア(外国)では。。

なんだか横っ面を張られた感じでした(汗笑)

 

今回それをカウンターパートに教えてもらい、

人との接し方を見直すいい機会だなと思いました。

カンボジアに来て3か月たち、少し慣れてきたころに、ちょうどよいカウンターパンチが入りました。(2回目)

 

「じゃあ、なんて言ったらいいの?」

と聞くと、

「チャー、(はい)だよ」

と教えてくれました。

 

日本では「はい、はい」を連発しながら聞くと、

丁寧どころか、ちょっとうっとうしい感じが出そうで、私はほとんど使ったことがありません。

カンボジアでは、それが一番尊敬が伝わる相槌。

その違いがちょっと面白い。

 

「チャー、チャー。」

 

というと、なんだか「イクラちゃん」みたいになった気分ですが…(チャーン!)

いや、たむけんか?(笑)

 

がんばって、丁寧を伝えようと思います。

 

教えてもらってから、この3日ほど、カウンターパート(私より10個ぐらい年上の方)にも「チャー」と言っていたら、

「私には気を遣わなくていいのよ!!お互いよく知っているんだから。」

と言ってもらい、それもちょっと嬉しかった一言でしたが、

それはそれで切り替えが難しい!

と思ってしまった!

 

それも、ムオイムオーイ(ゆっくり)で、身につけていきたいと思います。

 

 

スーオスダイチュナムタマイ! 後編

さて、後半です!

 

④自転車往復7時間で初隣りの市のプラサート(遺跡)旅

⑤初水かけ祭り体験

⑥お寺でハプニング

 

 

④自転車往復7時間で初隣りの市のプラサート(遺跡)旅

カンボジアといえば!アンコールワットのような、遺跡ですよね~。

カンボジアには各地域に遺跡が点在していると言われていますが、

コンポンチュナン州にも、実は遺跡があります。隣町のコンポンレイン市という、川を挟んだ向かい側です。橋は無いので、自転車ごと船に乗って行きました。

さらにそこから自転車で約3時間!こぎ続けて、やっと到着!お尻が痛い・・・・

とってもちっさな遺跡ですが、私にとっては初遺跡✨!

「プラサートゥノーブダイ」という名前でした。

さて、ここからハプニング。お昼ご飯を食べようと思い、近くの人に「ご飯を食べるお店はありますか?」と尋ねると、「むこうにあるよ」と言われ。言われるがまま、300メートルほどいったけど、無い。。仕方なく引き返すと、

「あの青い屋根だよ!」やら「あの看板のところ!」と言われてもイマイチわからず・・。「とりあえず、先にプラサート見るね」って先に進もうとすると、

「ごはんは反対方向だよ!」と別の方に注意され、(笑)うろうろしてたら、最終的に近くにいた気のいいおっちゃんが、「俺についてこいっ」っていって、バイクで案内してくれました(笑)ちなみに、言ってたところから800メートルぐらい先のところにありました。

ありがとう、みんな。(泣)

ちなみにその数百メートルの道を、10分ほどの間に5往復ぐらいしたので、その近辺はみんな知り合いになりました(笑)

 

⑤水かけ祭りへ初参戦!

4月14・15・16日は、クメール正月で、日本で言う「三箇日」。

カンボジアではこの3日間、水かけ祭りをします。

その名の通り、みんなで水をかけあうのです。

本来はお正月に、仏像や、仏塔、さらに年長者(両親など)の水をかけてお清めするという伝統的な風習が、形をかえて、「通行人同士が水をかけ合う」になったそうです。

ちなみに、タイや、ベトナム、ミャンマーなど、東南アジアではみんなこの時期にお正月を迎え、同じことをするそう。(コロナの影響でここ数年はどの国も自粛。)

カンボジアでは、コロナが落ち着いているという状況もあり、2年ぶりに開催されました。

水鉄砲や、バケツなどでバシャバシャ掛け合ったり、「マサウ」と呼ばれるベビーパウダーを顔に塗りあったり、とても楽しい雰囲気でした!!後、カンボジアではお祝いの時に大きな音をかける文化があるので、クラブでかかってそうなノリのいい曲が大音量でガンガンかかってみんな踊ってました。(笑)

私は人込みが得意でないので、「ちょっとだけ」参加。

とはいえ、ほんの5分、道を通っただけで、全身ずぶ濡れになりました・・!!(笑)

中には「冷蔵庫で冷やしてた水やん!」っていうのを背中に入れられ、「ギャー!」と叫びました(笑)

うん、1日で満足でした。(笑)でも、カンボジアの文化を知れた貴重な体験でした。

 

⑥お寺でハプニング

休日の間に絶対行きたかった、お寺。

家が仏教というのもありますし、家の近くに、コンポンチュナン一の大きなお寺だと聞いていたからです。

大家さんに「お寺に行きたい。」というと、

「みんなきれいな服を着て、お寺にいくよ」

と言われたので、上はカッターシャツに、ソンポット(こちらの伝統的なスカート)を着て、お寺へ。。

お坊さんがお祈りをする場所や、ご飯を食べる所を見て、そろそろ暑いし、帰ろうかな~と(昼の13時ごろ)思って歩いていると、

たまたま目が合ったおばあさんに手招きされ。

「ご飯食べた?」と聞かれ、

「まだ~」というと、

「じゃあ食べていきな~」

と誘われ、ご飯を食べることに。(笑)

これは、ご飯の時間を何よりも大事にするカンボジアではあるあるだそうですが、ちゃんと誘われた??(笑)のは初めてでした。

出してくれたのは、カンボジアのカレー。ココナッツミルクが入ったカレーです。

カンボジア料理が大好きな私!!

「チュガニュ!」(おいしい!)といいながらすっかり食べてしまいました。


後で聞くと、おばあさんは、「ジェイチー」という、お寺に住んで、お坊さんの料理などを作っている方でした。(カンボジアでは、独り身のおばあさんはお寺に入ることが多い)

ご飯を食べた後「ここに寝なよ~」と、ゴザの上で、枕を一つ置いてくれ、

修学旅行のような感じで、頭は同じ場所(枕)で、体を互い違いにして、おばあさんと一緒に寝るという不思議な体験をしました。(笑)(伝わるかしら。)

見ず知らずの外国人にここまで優しくしてくれるおばあさんに、感謝しながらぐっすり・・・。と思ったのですが!

20分ほどした時に「ズンズンズン・・」と例のクラブの音楽が聞こえてきて、お寺の周辺で水かけ祭りが始まってしまい、全く寝られませんでした!(笑)

1時間ほど横になり(笑)

起きてすぐ帰ろうと思いましたが、、綺麗な洋服を着ていたので、水かけに遭う勇気がでず。。(泣)

たまたま「今なにしてんの~?」と連絡をくれたカウンタパートに「今お寺なんだけど、水かけまつりをしていない道を教えてほしい・・・」とメッセージをすると、

「そこでちょっと待ってて!」

と、返信が。。20分後、なんと、バイクで迎えに来てくれました(´;ω;`)!(私は自転車)

しかも

「これに着替えなよ!」と、Tシャツとジャージの着替えまで用意してくれていて・・・!!!!!!

もう至れり尽くせり。。。もう神様です。(´;ω;`)(´;ω;`)

せっせとお寺の中で着替え(笑)。

しかし、カウンターパートに

「お寺を抜けるには、2つの道しかなくて、どっちも水かけられるよ。。」

と、結局はずぶぬれになって帰りました。

カンボジアの人の温かさと、活気にあふれた文化に触れられた、とてもエキサイティングなお正月でした。✨

20日から、学校開始です。

無理せず、ゆっくり、がんばりまーす。

スーオスダイチュナムタマイ!前編

呪文のようなこの言葉。

スーオスダーイチュナムタマイ!

は、カンボジア語の、あけましておめでとうです。

今日は4月のクメール正月の体験を書き留めておきます!✨

かなりエキサイティングでした。(笑)

日本では年度初めでバタバタするこの時期に、カンボジアはお正月を迎えます。

 

4月14日~16日は、クメール正月といって、

昔から4月になると、天から女神が降りてくるとつたえられていて、その時をお正月としてお祝いするそうです。(カンボジアは4月は一番暑いから、休んでしまおう!という話もききましたが。。)

 

学校も、4月6日~19日までお休みです。

首都のプノンペンも、この間はみんな地方に帰るため、お店も閉まるそう。。

 

さて、私がこのお休みの間にできたことは

 

①カウンターパートの家を訪問(ほぼ毎日通った(笑))

②クメール語の勉強

③カフェのお手伝い&クメール料理の勉強

④自転車往復7時間で隣りの市のプラサート(遺跡)見学

⑤初水かけ祭り体験

⑥お寺でハプニング

 

長くなりそうなので、前後半で書きます。

 

①カウンタパートの家訪問

カンボジア流の休日の過ごし方を教えてもらいました。

カンボジア人は、大抵、休日は家でご飯を作って食べ、ハンモックでゆっくりするそうです。

この日は胡瓜のような野菜と、鳥ミンチ肉のスープと、豚肉いためと、野菜と、マンゴー、ご飯でした。 ちなみに、野菜やフルーツは、畑で栽培されています。 本当においしい!!

食べた後は、私もハンモックに初挑戦! でも勝手が分からず、ゆらゆらしすぎて、

寝るどころが、気分が悪くなり… 30分後、酔いました。。 (笑)

私が「ハンモックで酔った」ことを伝えると、笑いながらも、スーッとする中国のお薬をお腹や首に塗ってくれました。 至れり尽くせり(笑)

その他にも、一緒にクメール料理を作ったり、学校のことや、教育のことなどについて話したり。 一緒にバドミントンしたり、家に生っているココナッツを取って、カットしたり。 あと白髪も4本ぐらいピンセットで抜いてもらったり。 (爆笑)

まあとにかく色々とコミュニケーションを取っていました。 

この休日でかなりカウンタパートと仲良くなり、嬉しかった🥰!

 

そして、カウンターパートの方は、話せば話すほど、愛情深く、とても素敵な方だと感じています。

出会いに感謝!!!! 🥰

 

②オンラインレッスン

私にとって、クメール語は話したり聞いたりするのが、かなり難しい(書くのもですが)ので、オンラインレッスンを週2回ほど、受けています。 

カンボジア人の日本語を話せるガイドの方で、語学専門の先生というわけではないのですが、微妙なニュアンスを教えてくれるのでかなり助かる!!

どの言語もそうだとと思いますが、何も意識せず話すときは皆基本、文語(書き言葉)ではなく口語(話し言葉)で話すので、全く聞き取れない・・・。

さらに子供達・学生等に至っては、早口&「めっちゃええやん」みたいな、スラング? で話されると、もう、、、頭の中では×〇△●◎??! (笑)

教科書で習ったあの単語はどこぞに? って感じです。 (笑)

「わからない!」と不安になることもありますが、先生が「大丈夫、ムオイムオーイ(一つ一つ、ゆっくり)覚えてきますから」と励ましてくれます。

焦っても仕方ない! ので、ゆっくり! ですね💛

しかし、カウンターパートの家でオンラインをした時に「先生が日本語話しちゃ、あなた話す練習にならないじゃない!」とカウンターパンチが入りました。 (その意味のカウンター?! )笑。 まあ、がんばります。

 

③カフェのお手伝い

お休みにやってみたかったことの一つに、「カフェのお手伝い」がありまして。

↑「メーカフェ」


私の住む家は、二階建ての二階部分で、一階は、大家さんの家と、カフェ(クメール料理屋)です。 元は大家の娘さんが始めたお店ですが、今は結婚して海外にいるため、娘さんの友達が切り盛りしています。 

そこでお手伝いすれば、クメール語を聞いたり、話したりする練習にもなるし、料理の様子も見られていいなあ~! と思ったのがはじまり。

カフェで話す人々のスピードはまさに・・ネイティブです。 (笑)全く分かりません!!

ぼーと聞いていたら、「ボーン!バイチャークチョップ!」 (お姉さん、チャーハン持ち帰り! )と言われて、はっとして慌てて店主のチャンターに伝えました。

一つでも聞き取れて、一歩前進かな。! (笑)

 

面白かったのは、途中お客さんが「私が作るわ」って言って自ら料理してたこと。 忙しい時はホールでも学生の子が手伝ってたりして、ちょっと面白い。

これもこのお店あるある。

そして、私は久々に飲食業でバイトをしていた時のことを思い出しました。 お客さんが入ってきた時のちょっとした緊張感とか、お客さんが多い時に限って、ややこしい注文が入るとか、終わった後の独特の疲労感とか。。 懐かしい。 (笑)

疲労感とかいいながら、私は主に、ホールでできたものを運ぶだけ(しかも無言で笑顔で)だったのに。

 これを毎日、しかも朝から晩までしてる店主のチャンターと、スタッフの女の子。 すごい。 本当に尊敬。 かっこいい!

 

 

ちょっと長くなりそうなので、今日はここまで。 続きは後編に!

ふわふわな1週間

2月9日にカンボジアに来てから、今日でちょうど1週間が経ちました。

あまりインスタやフェイスブックでは言っていませんでしたが、

この1週間は実は、かーなり絶不調でした!!(泣笑)

 

PCをみつづけることも難しかったので、このブログもなかなか進まず(泣)

秒であがるストーリーで発信するのがやっとでした(笑)

 

よく、隊員の間で、「心身のやる気曲線」的なものがあるのですが、0も0,いや、もはやマイナスからのスタートです。まあそれもいいかな。

今はブログをあげられるほど元気になったので、ご安心を…✨

 

来てすぐの大きな体調の変化は、

とにかく頭がふわふわする(常に乗り物に酔ってる感じ)

・PCの画面を見続けるだけでふわふわ(目が回る感じ)する

・道を歩いていてもふわふわする。

・涼しいところの椅子に座っていてもふわふわする

・食欲減退

・肩と首が異常に凝る

 

と、とにかくふわふわ祭り、かちかちな毎日でした(語彙力)笑

ふわふわの正体は熱中症からくる「めまい」であることと、肩や首コリからくる自律神経の乱れであることが判明。(健康管理員の方の話を聞いてから自分で気づいた)

 

原因が分かると対処法も分かり、

・とにかく水分(ポカリやこちらのRoyall-D という粉で溶かすタイプの経口補水液を飲む)

・早めに寝る

ヨガで自律神経整える系(YOUTUBE)をいくつか。。

肩こり解消ストレッチ(YOUTUBE)をする

・肌を隠して、直接日を浴びないようにする

・日傘・帽子を使う

 

などなど。色々試してようやく、三半規管や自律神経が安定してきました。。

あー辛かった(笑)

酔いやすい隊員は注意かもしれません。

 

あと、日本の2月は寒く、特に田舎の家だったので、毎日寒さと闘っていました。(毎日1~5℃くらい)

カンボジアは30℃以上あるので、その温度差に体がびっくりしたんだと思います。あとは飛行機などの移動の疲れが取れていなかったかー。

 

「肩こり解消ヨガ」をして、肩がすんごいがちがちだったので、自分がいかに凝っていたのかが分かりました…。。

終わった後はもーめちゃくちゃスッキリ!!!!

そこからめまいも一気に減りました。

改めてヨガってすごい!!ヨガに感謝。

 

さて。

記録も兼ねて、一週間を振り返り。

 

2月9日:カンボジア到着

私の他にも、2次隊と3次隊の方1人ずつの計3名で無事到着。

JICAスタッフと合流・携帯シムカード購入

ちなみに空港で、本田選手を見かけました!!声をかけようか迷い、やめた(笑)

 

2月10日:オリエンテーション1

JICAスタッフの紹介や、今後の流れや町で注意する事などを教えてもらいました。

オンラインクメール語で、先生に到着報告。

 

2月11日:お休み①

・オンラインクメール語で2人目の先生に到着報告

・初イオン!でお買い物。

 

2月12日:お休み②

本当に体が辛くて、この日は一日寝ていました。。買い込んだ日本食があったので、ホテルからも一歩も出ずに、ひきこもってました。(笑)

 

2月13日:お休み③

朝から先輩隊員とプサー(市場)・初屋台クイティウ!別れてから、プチ一人旅で初トゥクトゥクに乗って、ゴールデンテンプルへ。

3人で合流しておいしいランチからの

トゥールスレン収容所見学(ポル・ポト時代の虐殺資料館)

(この日はかなり動けた!💮(笑))

 

2月14日(月):語学研修開始!&オリエンテーション

2月15日(火):3回目のワクチン接種、語学研修、健康管理オリエンテーション

この日の晩から発熱(38℃)

2月16日(水):銀行口座開設・写真撮影

朝は熱があってのて休み、熱が下がった午後から銀行口座開設と、写真撮影にいきました。

さりげなく発熱もしていますが、割と早い段階で下がり、

体もさらにパワーアップしたような気もしています✨

 

あと、写真を入れようにも、うまく使いこなせず・・・。これしか入らない(笑)

語学のヴァナック先生とパシャリ。

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以上、怒涛のふわふわな1週間でした。

では

チュオブクニーアペールクラオイ!(また会いましょう!)

 

 

 

「待ち」の中の、エモい瞬間

ホテル自粛生活中で、少し時間があるので、自分の今の思いを書いてみようと思います。タイトルも可愛く?変えてみました(笑)

 

ご存じの通り、私は今、小学校の教師

を一旦休職し、海外協力隊挑戦中です。

今年の6月に無事に福島県での訓練を終え、同期はほぼみんな派遣の目途が経っていますが、私の派遣予定のカンボジアだけは全く派遣の目途が経っていません。

 

その代わりに、いけない間、鳥取にボランティア研修に行くことになりました。

そのため、今鳥取に来ています。(その活動については、また書きたいと思います!)

本来ならば8月の中旬に派遣されていたはずでした。それが今年中には難しい。

タイやラオス、ベトナムなど、周辺の国は行ける目途が経っているのに・・・。

なぜ??

国の医療体制が一番の要因だと言われていますが。

しかし、最近、確実にカンボジアも国を開けようとする流れはあるようなので、

もうしばらく、希望を捨てずに(今年度内は)待ちたいと思います。

さて、ここからが本題。

もうこの「待つ」ことにもずいぶん慣れてきました。

むしろ「待つ」=「貴重な時間(準備期間)」として過ごしてきていると思います。

最近特に、「貴重だ」と思えたことは、

退所してから、

農家をしている両親と、3か月間(8月~10月)ほぼ毎日一緒に過ごせたことです。

 

思えば、平日もずっと両親といられるというのは、幼稚園に入る前(0~3歳ぐらい)以来な気が。

 

小学生の時でさえ、平日の昼間は学校に行っていたのですから…。

 

大人になってから、

両親の日々の農業の仕事ぶりをそばで見続けられたことは、

ある意味とても貴重で、とても有意義でした。

 

気づいたことは、農業を続けている両親って本当にすごい!!!ってこと(語彙力…)

 

私の家は、米や、さつまいもをメインに、その他、自分の家で食べる分ぐらいの季節野菜を育てています。

 

9月は主にお米の収穫時期で、10月はさつまいも収穫体験がシーズン。そのため、9月と10月は毎日畑や田んぼに出ていました。

 

農業って、よく大変大変っていうけど、何が大変かって、沢山の小さな(しかも地味な)仕事があるのです。。

 

朝夕の水やりや、土づくり、種まき、追肥、雑草抜き、蔓切り、農具整理、お客さんの予約状況管理・どの植物をどのくらい植えるのかを日々管理する等々…。挙げだしたらキリがありません。。仕事の数を年間で数えると、数十個、いや数百個あると思います。

 

それを、当たり前かのようにしながら、毎日家事もして、生活している父と母。しかも、それを30年近くも。もっと遡れば、おじいちゃんは、50年近く、そのまた前も何十年も。私が生まれるずっと前から、その農業のリレーが続いてきている。

 

すごいな。って純粋に、尊敬するし、そのリレーに感動する。

先祖代々の田畑のリレーが続いているお陰で、

毎日、自分達で育てた旬の野菜をその場で取って、(しかも無農薬)料理して、食べることができる。。

それって、

なんて幸せな、最高な暮らしだと。。。

 

今更ながら、気づいたわけです。

 

そして、何より得難い経験だったのは、

稲刈りの時に、刈り取るコンバインに何度も乗り、(12枚中8枚くらい?)その時に「うまなったなあ!」「全部一人で(機械にのって)刈れたの初めてちゃう??」「もう稲刈り、任せられるな~。」

と、両親から褒められたこと。

大人になると、褒められることも少なくなる。

しかも親から。

これって、超貴重(笑)。

それが素直にめちゃくちゃ嬉しかった。

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エモいってやつです。

 

しかも、この出来事も、毎日機械に乗って練習できたから、上達した。

予定通り、8月からカンボジアに行っていたら、絶対体験できなかったことです。。

 

そう思えば、このタイミングで、お休みを取ったことは、私にとって大きな意味があったような、なんだか不思議な気持ちにもなってきます。

 

この3か月の経験は、

これからの私の生き方に

大いに関係してきそうな気がします。

それに

気づけただけでも、とても有意義な「待ち」でした。

(まだ続いていますが!)

 

両親と、私をとりまく全ての物に感謝です。

 

さて、これから、貴重な「待ち」第2幕が始まります。

舞台は鳥取!!

お楽しみに。

訓練所生活記録①東京隔離生活

こんにちは。

 

海外協力隊でカンボジアに派遣予定のマッシュです。

 

2021年の6月11日に福島県にある二本松訓練所から帰ってきました!

 

コロナ禍初の訓練生ということで、JICAの方や私達も緊張感が漂う時もありましたが、

 

結果は無事に「隊員」になれました!(語学訓練に合格しないと隊員にはなれないのです・・・・)

 

帰ってきてホッとしたので、

 

この2か月の訓練生活を振り返りたいと思います。

 

 

まずは2週間の東京での隔離生活☆

f:id:JUNHASHIMOTO:20210615102507j:plain←新幹線の中で母親からの手作りおにぎりを食べ元気をもらいながら来ました。ありがたやー。。



東京では、JICA事務所が入っている「KKYホテル」にお世話になりました。

 

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最寄りは東京の東西線竹橋駅。

実は間違って隣接しているJICA銀行に気づかず


直行したのはココだけの話。。笑(職員ID教えてくださいと言われ、迷わず受験番号を伝えました笑)

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ホテルの周りには皇居のお堀がありました。皇居ランナーが毎朝・晩走っていました☆あの猫ひろしさんも走っているのを見かけたという訓練生もいました!

 

 

私も何度か走ったり、歩いたりしながら散策しました。

主にお堀でストレッチやヨガをするのが多かったのですが・・・!

ちなみにここが、一番お気に入りスポットでした!↓

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江戸城ってとてつもなく大きな城だったんだと実感。。。

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さてさて、

部屋の中の紹介もしたいと思います~!部屋はこんな感じでした。14階でした。

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すごくきれいで快適でした・・・!ご飯も3食出て、3日に一回お掃除も入るという…。

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初日は来てすぐ湯をはりました!気持ちよかった~。

 

ご飯は3食お弁当

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ホテルクオリティなので、毎回とても豪華な感じでした!

とってもおいしかったのですが、後半はお腹がすかすのに一苦労、最後3日ほどの夕食は抜きました・・・。

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東京生活では主に語学の勉強をしたり、候補生同士でZOOMをしたりして連絡を取っていました。(初めましてがZOOMでした!)

隔離中はほとんどリアルでの訓練生の交流は無かったので、この環境はありがたかったです。

訓練所に着いてからすぐ名前が一致する方が何人もいて、スムーズに話すことができました!

ちょっと新鮮だったのは、画面越しでしか会えなかった人にリアルで会った時、テンションがあがる感じがしたこと!

これって、芸能人にあった時みたいな感覚に似てるなあ。

コロナ禍における新しい絆の結ばれ方だと思いました。


 では隔離生活の様子はここまで!